8:41 pm
来日当初は文化の違いから「オーマイガー…」を連発していたアメリカ君
そろそろ日本になれたのか「オーマイガー」を聞くことがなくなっった。
しかし昨日、おでんの牛スジに衝撃を受けて「ナンテコッタイ!」
馴染んだな~と和みつつ「オーマイガーじゃなくなってるね」と言うと
「神様がいっぱいいて誰に報告すればいいかわからない(´・ω・`)」
1:04 am
中学生「民主党は云々」 高校生「Twitterでの云々」大学生「セックスしたい。」社会人「おうち帰りたい」どんどん欲望に素直になっているのがおわかりいただけただろうか。
11:49 pm
「今の機能で十分、これ以上複雑にしないで欲しい」というユーザーは何も言ってこない
7:37 pm
115円のアプリが日本のAppStoreでダウンロード数1位になると、だいたい収入が数百万円入ってくることが分かりました。ということは、115円のアプリの開発費は100万円以下でなくてはなりません。
7:24 pm
「とりあえずやってみたけど、間違ってたらごめんね、てへっ。言ってくれたら後で直すよ。」 これで、身の回りのシステムがわりと回ってるというのがUS。もちろん、この感覚がグローバルなネットサービスにスケールするかというのは別の問題で[…]ただ、「とりあえずやってみて、走りながら直す」という土壌は、新しいものが出てくる ためのほとんど必要条件でもある
5:56 pm
パノラマ撮影機能「スイングパノラマ」は、高解像度な「HRモード」を搭載。カメラを縦に構えてスイングすることで、10,480×4,096ピクセル(4,290万画素)のパノラマ画像を生成する。
12:48 am
「売上の80%は全従業員のうちの20%が生み出し、残り80%の従業員は20%の売上しか生み出していない」として知られる有名な「
パレートの法則」があるが、これをさらに細分化して「優秀な人20%、普通の人60%、仕事ができない人20%」の比率がどんな企業にも存在するといわれている。つまり、優秀と評価される「上の20%」に属していなければ、自分の雇用は安泰とはいかないということだ。
11:13 pm
ソフトウェア技術者というのは、まず誰より自分に対して報いる仕事なのだから。 自分に報いることが出来なくて、どうして人様に報いることが出来ようか。 私が一目置くソフトウェア技術者たちは、まず誰よりも自分に報いる人々であったし、あるし、これからもそうでありつづけるだろう。私自身、人に報いようと思ってやった仕事がうまく行った試しがない。たかがblogの記事一つでさえそうなのだ。 自分に報いるのであれば、どんな醜い仕事でも「はい、喜んで!」やれる。 世の中が美しいのは、そうやって自分に報いている人々が、その過程でゴミ拾いを続けて来た結果なのではないか。 なのだとしたら、ゴミを拾わぬ人に、美の何たるかを語って欲しくはないものだ。
7:45 pm
はじめに/目的
この記事は無償で公開していますが、ご意見・ご感想・ご指摘などは大歓迎です!
以下のように、古くて低スペックなPCへLinux(CentOS5.1)を導入する事にしました。
(結果的にはブートローダについて学習できましたが・・・・)
- CPU:Cyrix MediaGX(120MHz)
- RAM:64MB(Max64MB)
- I/F:VGA, K/B, Mouse, LAN(1), RS232C(1), Parallel(1), LineIN/OUT, Mic
- 拡張スロット:ISA(1)
これは弊社設立時に稼働していたインターネットサーバで、これ1台でDNS, Web, SMTP, POP, etc.
が動作していました。その後、ブロードバンド環境移行時にお役ご免となっていたものです。今となってはファイルサーバくらいになるかもしれません。今回は
社内用のDNSサーバとして稼働させようかなと考え、生還の可能性が出てきた訳ですが果たして・・・・。
問題
早速だけど、次のような問題が発生してしまいました。
- CD/DVDブートが出来ない
- ATAは1つでスレーブ側に接続出来ます(マスタはHDD)が、マザーボードがCDブートに対応していないので×
- フロッピー接続が出来ない
接続方法がない(マザーボードにコネクタが無く、USB端子ももちろんない)ので×
- ネットワークブートが出来ない
- 最初はPXEによるネットワークブートも考えましたが、これまた非対応なので×
以上のようにこのPCは拡張性がほとんど無く、通常考えられる方法ではインストール出来ないのでちょっと変わった方法?で導入を試みました。
HDDにインストール専用パーティションを作成し、HDD起動にてインストーラを起動する方法です。
最近のノートPCのリカバリ領域みたいな考え方ですね。
3:43 pm
ホンダの創業者、本田宗一郎氏はある日、あっさりと代表の座を降りた。
その後、彼は全国行脚の旅に出る。
全国のホンダの営業所、工場を訪れ社員一人一人に挨拶し、握手を交わしたいと言い出したのだ。
それが社長を辞める際の彼の唯一の願いだった。
飛行機、車、新幹線を乗り継いで彼は全国どころか外国も含め、1年半ですべてを回りきった。
ある工場で宗一郎氏と握手する前に急いで走り去ろうとするものがいた。
「どうした?」
そう呼び止めると
「手が汚れているから」
と油で真っ黒になった手を隠しながらもぞもぞしている。
だが宗一郎は、
「いいんだよ、それでいいんだ」
と彼の真っ黒な手を握り締めた。
「働いている手じゃないか、立派な手だ。俺はこういう手が一番好きだ」
そういいながら涙ぐむ宗一郎氏と一緒に社員も涙を流した。